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大阪地方裁判所堺支部 昭和61年(む)36号 決定

主文

司法警察員が、昭和六一年六月三日、大阪府泉佐野市二九五番地の三泉佐野市役所三階泉佐野市選挙管理委員会事務局使用の三〇四号室でした、投票済投票用紙一包(同年五月一八日執行、泉佐野市議会議員一般選挙投票、Aなどと記載、無所属Aと記載の茶色包み紙に入つたもの一、一五八枚入り)に対する差押処分を取り消す。

その余の準抗告を棄却する。

理由

一本件準抗告申立ての趣旨及び理由は、弁護人佐伯千仭外一九名作成の一九八六年七月三日付準抗告申立書記載のとおりであり、要するに、前記〈省略〉佐野簡易裁判所裁判官のした本件捜索差押許可の裁判及びこれに基づいて司法警察員のした投票済投票用紙に対する差押処分は憲法一五条四項に違反する違法なものであるから、許されないのでその各取消しを求めるというのである。

二そこで、一件記録及び証拠物によれば、以下の事実が認められる。

1  本件の被疑事実の要旨は、被疑者甲は、外三七名と共謀のうえ、昭和六一年五月一八日施行の泉佐野市議会議員一般選挙に際し、虚偽の住民異動届を提出し、当該選挙人名簿に登録させて詐偽投票をすることを企て、同年二月八日及び同月一〇日、泉佐野市役所において、真実は居住していない同市元町七番一二号日之出荘などを住所として住民異動届をして、各係員をして公正証書である住民基本台帳にその旨不実の記載をさせ、即時同所にこれを備えつけさせて行使するとともに、右選挙に際し、選挙人名簿に登録させて詐偽登録をなしたうえ、右甲ら三五名が、同年五月一八日、同市湊三丁目二番二〇号湊町会館第六投票所外二か所において、資格を偽つて投票し、あるいは不在者投票をし、もつて詐偽投票をしたというものである。

2  泉佐野市選挙管理委員会は、同年五月一一日、同市議会議員一般選挙を告示し、定数二八名に対して三二名が立候補し、同月一八日投票が行なわれ、有権者総数六万四、六四七名のうち四万九、九八四名が投票して、当選者二八名が決定した。当選者の党派別は、公明党五名、日本共産党五名、民社党二名、日本社会党一名、自由民主党一名、無所属一四名であり、最高得票者は、松浪啓一(無所属)二、八六四票、最下位当選者は、浜崎忠親(無所属)一、一三二票、次点は岡野秋喜(無所属)一、〇一七票であつて、本件被疑事件で投票済投票用紙を差押えられたAは、一、一五八票を得て、二七位で当選した。同人は、大阪府泉佐野市沖に建設が計画されている関西新国際空港に反対する立場から、右市議会議員選挙に立候補したものである。

3  警察は、関西新国際空港建設に反対する一派がその運動の一環として、前記泉佐野市議会議員選挙に自派の活動家を立候補させ、その当選を図るために、自派構成員の住民票を同市内に移し、詐偽投票を行なうおそれがあるのではないかと考えて警戒していたところ、同市元町七番一二号日之出荘外二か所を住所として五五名の住民異動届がなされたこと及び右日之出荘などの数室について賃貸借契約がなされたものの、現実に、同室に引越してきた形跡のないまま、約一か月後には右賃貸借がいずれも解約されていることなどから、右の五五名について真実は居住していない同所を転入先として住民異動届がなされたという公正証書原本不実記載、同行使の疑いを抱くに至つた。

4  前記五五名のうち、三八名は、引き続き三か月以上住民基本台帳に記録されている者という公職選挙法二一条一項に規定する要件を満たすこととなつたため、前記市議会議員選挙において選挙権のある者として選挙人名簿に登載されたが、その後、うち一名の者が泉佐野市から転出したため、同名簿から抹消され、選挙権を有するのは三七名となつた。

5  警察は、右三七名の者が詐偽投票を行なうおそれがあると判断し、投票当日その投票事実の確認を実施した結果、本件被疑者である甲外一一名については投票行為自体の現認が得られたほか、八名の者について、投票行為までは確認できなかつたものの、投票所へ入場した事実を現認した。

6  また、警察は、右三七名の投票の有無を調べるため、同月一九日、捜索差押許可状を得て、同月二一日、前記選挙の投票所入場券三二枚及び投票用紙を交付する際に係員が対照用に使用した永久選挙人名簿抄本を差押え、さらに、順次、各投票所係員の取調べ、不在者投票の記録の調査などの捜査を行なつた。その結果、右投票所入場券などの選挙事務関係資料のうえでは、選挙人名簿に登録された右三七名のうち、二人は投票しなかつたものの、三名が不在者投票をし、三二名が投票当日に投票したことが判明した。

7  警察は、以上のような経過から、本件の投票は、前記A候補を当選させるために、組織的に実行されたものであり、被疑者甲ら三五名は同候補に投票した蓋然性が高いと判断し、右三五名の投票の事実を裏付けるため、同候補に対する投票済投票用紙から指紋を検出し、右被疑者らの指紋と照合しようとして、泉佐野市選挙管理委員会に対し、本件投票用紙の任意提出を求めたが、同委員会からこれを拒否された。そこで、泉佐野警察署司法警察員は、被疑者甲に対する前記被疑事実について、大阪府泉佐野市二九五番地の三泉佐野市役所三階泉佐野選挙管理委員会事務局使用の三〇四号室において、同候補に対する投票済投票用紙一、一五八枚を差押えるため、昭和六一年六月二日、佐野簡易裁判所裁判官に対し、その捜索差押許可状の発布を請求し、同日、同裁判官からその旨の許可状の発布を受け、同月三日、右三〇四号室において捜索を行ない、同年五月一八日施行の泉佐野市議会議員一般選挙のA候補に対する投票済投票用紙一包(一一五八枚入り、主文掲記のもの、以下本件投票済投票用紙という)を差押えた。

8  差押えられた本件投票済投票用紙のうち二二六枚について対照可能な指紋が検出されたため、警察は、この二二六枚について、選挙事務関係資料上投票したと認められる被疑者甲ら三五名のうち前科を有しあるいはこれまで警察で取調を受けたことがある関係で警察で指紋を保有している二六名及び前記公正証書原本不実記載、同行使、詐偽登録の関連被疑者一名の各指紋との対照を大阪府警察本部刑事部鑑識課に依頼したところ、右二六名のうちの五名の者について、指紋が一致した。

三  以上認定の事実により考えると、被疑者甲に対する被疑事実は、公正証書原本(住民基本台帳)不実記載、同行使、公職選挙法違反(詐偽登録、詐偽投票)であり、本件投票済投票用紙の捜索差押許可状の発布及びこれによる差押は、A候補に対する投票済投票用紙一、一五八枚全部について、右被疑者外三四名の指紋の有無を調べ、同人らが投票したか否かを探知するために行なわれたものであるが、そもそも右公正証書原本不実記載、同行使、公職選挙法違反(詐偽登録)の被疑事実の立証のためには右の投票の有無を探知することは必要でなく、また、右公職選挙法違反(詐偽投票)の被疑事実についても、同法二三七条二項の犯罪構成要件上必ずしも投票したことまでも立証しなければならないものではない。ましてや、警察官の現認、差押えた永久選挙人名簿抄本、各投票所係員の取調べ、不在者投票記録の調査等により、被疑者甲外一一名の投票行為自体及び八名の投票所への入場の事実を含めて三二名が投票している事実がすでに確認されているのであるから、右公職選挙法違反(詐偽投票)の被疑事実の立証上、被疑者甲外三四名の指紋が本件投票済投票用紙に存在するかをまで探知することが不可欠とは認め難いところである。他方、押収された本件投票済投票用紙一、一五八枚中、指紋対照可能な二二六枚について、指紋対照を行なつた結果被疑者甲外二五名中の五名について指紋の一致をみたのであるから、この五名の者について、同人らがA候補に投票したことを警察が強制捜査により探知したものといわなければならない。また、警察において指紋を保有する残りの二二名についても、同様のことを探知するには至らなかつたものの、これを強制捜査により探知しようとしたものといわなければならない。

ところで、秘密投票は、民主政治の根幹をなすものであつて、秘密投票なくして民主政治はあり得ないのである。さればこそ、憲法は、同法一五条四項において投票の秘密を定め、同法九九条において、公務員にその尊重擁護を義務づけ、公職選挙法も同法五二条において、秘密保持を定め、同法二二六条二項において、公務員等が投票者に対し被選挙人の氏名の表示を求めることを刑罰をもつて禁止し、同法二二八条一項において、投票所又は開票所において被選挙人の氏名を認知する方法を行なうことを刑罰をもつて禁止するなどして投票の秘密を強く保障しているのである。本件で行なつた司法警察員の本件投票済投票用紙の差押を含む一連の所為は、詐偽投票における投票の事実の立証を目的とするものではあるけれども、客観的には被疑者甲外二六名がA候補に投票したか否かを強制捜査により探知しようとし、その一部の者についてはこれを探知したものであるから、まさに、右の投票の秘密を侵そうとし、これを侵したものといわなければならない。そもそも、本件公正証書原本不実記載、同行使、公職選挙法違反(詐偽登録)の被疑事実立証のためにはかような所為に出る必要はなく、公職選挙法違反(詐偽投票)の被疑事実立証のためにもその必要はすくない反面、秘密投票の有する意義、重大性及び本件の如き意図による投票済投票用紙の捜索差押を容認するとこれがつぎつぎ拡大されて結局は、約五万票の投票用紙全部について警察の保有する指紋との対照による被投票者の探知がなされるおそれなしとしないというその弊害のあまりにも重大であることから考えると、本件の如き投票済投票用紙の差押は、憲法一五条四項に違反する違法なものというのほかなく、とうてい容認することはできない。

四なお、申立人は、裁判官のした捜索差押許可の裁判についてその取消しを求めているが、本件は、前記二で認定したとおり既に右許可の裁判に基づいて差押処分がされているのでもはや右許可の裁判自体の取消しを求める利益がないから右許可の裁判自体の取消しを求めることは許されない。申立人は、投票用紙はその物自体に意味がある以上に採取された指紋、あるいは筆跡といつた情報自体に意味があるのであるから、差押えた本件投票済投票用紙の還付の外、その写し、写真、右投票済投票用紙を資料とする鑑定書等が一切廃棄されるまで申立ての利益がある旨主張しているが、右許可の裁判が取り消されたからといつて直ちに本件投票済投票用紙の写し等が廃棄されることにはならないから、その取消しを求める利益があるものとは認められない。

五よつて、本件投票済投票用紙の差押処分は違法であつて、この点に関する準抗告の申立ては理由があるから、刑事訴訟法四三二条、四二六条二項により原処分を取り消し、その余の申立ては不適法であるから、同法四三二条、四二六条一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官小河 巌 裁判官芝野義明 裁判官山本恵三)

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